neiro@akita

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ヘアカラーやめます宣言〜グレイヘアにチャレンジします!

ご訪問ありがとうございます。音声診断ねいろです。今年初め、だったかな。これからは自然のままで生きていきたいと、生来のくせ毛を受け入れて長年続けていた縮毛矯正(ストレートパーマ)を昨年秋にやめた話をここでしました。あれから一年。今回はさらにもう一歩進んでヘアカラー(いわゆる白髪染めですね^^;)をやめて自然にまかせることに決めました!グレイヘアへのチャレンジ開始です。きっかけはこのたびの帯状疱疹。発疹が頭にできてしまったためシャンプーはもちろんしていたものの(それも怖々)それだけで精一杯、髪のお手入れは何もできない状態で。ふと気がつけば、この一ヶ月の間に根元は数センチ、生え際ははっきり白髪がわかるように。髪をかき分けながら薬を塗るたびに毎回嫌でもその白髪っぷりに直面せざるを得ませんでしたが、この間少しづつ、わたしの中に心境の変化が芽生えてきたのでした。今はもう患部の赤みも痛みもかゆみも消えて、ほとんど元と同じ状態。だからお化粧もヘアカラーもOKなのです。でも。この一ヶ月の間にだんだんと心は決まっていったのです。もうこのへんでヘアカラーはやめようかなって。白髪が伸びている今、案外これはいい機会なのかもしれないなって。髪の長さにもよると思うけれど、白髪が伸びて全部の髪色がキレイに揃うまでは約一年かかるといいます。そこまでは辛抱。途中でくじけそうになるかもしれません。なので、ここで宣言することによって後戻りできないようにしておこうという 笑。久しぶりにわたしに会った方、そんな訳なのでどうぞ驚かないでくださいね^^;こんな本を見て、参考にさせてもらっています。

一ヶ月テレビやSNSと離れた生活を送ってみたら、すこぶる快適だった話

ご訪問ありがとうございます。自分を見つめる音声診断ねいろです。木曜日。久しぶりに夜遅くまでテレビを観ていました。夕方からずっと。ドラフト会議、金農の吉田輝星くんのことが気になって朝からそわそわ。この日だけはリアルタイムで成り行きを観たかったから。もうすっかり母のきもちです。たぶん秋田県民のほとんどがそうだったのではないかしらん。県民総 "勝手に吉田くんの親戚のおじちゃんおばちゃん化" の1日でした。(それなのに悲しいかな秋田ではTBSが映らないという。ネットニュースをチェックしながら、NHKの速報で詳細を知りました。)おめでとう、吉田くん!!良かった良かった。おばちゃん、ホッとしたよ〜。でも…その結果、おふとんに入ってもなかなか寝付けず、深夜2時過ぎまでもんもんとして次の日の朝は寝不足でボーッ。ここ一ヶ月ほど極力テレビを観ない生活をしていたので、刺激が強かったのでしょうか。それとも久しぶりで興奮し過ぎたのかも 笑。それくらいずっと、目や頭に優しい、静か〜な生活を送っていたからね。(刺激がないとも言える)そしてテレビだけではなく、ネットやSNSからも意識的に離れていました。今までの経験上、一度それらを見始めるといつの間にかたくさん時間が過ぎてしまって目は疲れるし、なんだか心もザワザワするというパターンが多かったから思いきってシャットダウン。そうしたらね、案外困らないし不便なことは何も無かったのですよ、わたしの場合。むしろ心が穏やか〜で、すこぶる快適!仕事上の緊急のやり取りは電話だったりメールやメッセンジャーで、友人や家族とはLINEで、と連絡が取れていたし。あまりにも放置しているとSNSからのお知らせカウント数がたまってくるので、時々はのぞいてみたり。そんな時にはジャストタイミングで必要な情報に出合えたりするのですよ。すると、なんだか段々とこのくらいの頻度のチェックでいいんだな〜って気持ちにもなって。要は今までが情報過多だったのですよね、わたしにとって。確かにとっても便利で、今まで知らなかったことを知れる楽しさもあるけれど、そんなに必要ではない情報まで入れてしまっていては、消化できなくて脳が、心も、疲れてしまう。知らず知らずのうちにそんな状態に陥っていたんですよね、きっと。発疹が頭や目の周りにできたのもそんなことを教えてくれるためだったのかもしれません。少し休ませてあげなさいね!って。病気や不調はカラダからのメッセージですからね〜

心地よい音楽に癒される。

ご訪問ありがとうございます。自分を見つめる音声診断ねいろです。自宅療養のさなかに改めて気づいたことは、人間どんな状況の中でもたとえどんなに落ち込んでいたとしてもその合間合間にはうれしいとか、おもしろいとか、ステキだなとかプラスの感情は持てるんだなってこと。それは何かを食べて美味しいって思えることだったり、前の記事でも書いたようにコンビニでリラックマのチョコまんを見つけた時にわあっ可愛い😍ってテンション上がる瞬間だったり、大好きな読書ができなくてもそれに変わる心おどるものに出合った時だったり。帯状疱疹になった当初は頭〜顔にも発疹が出て目も充血していたので、お医者さまからの安静に、との指示がなくても外出する気分にはなれず家と病院との往復のみ。一週間過ぎてようやくおそるおそる外の世界(コンビニ)にデビュー?してはみたけれど化粧はできずすっぴんだし、患部はガーゼでおおわれているから人目に触れないように帽子を深〜くかぶってこそこそと。(誰も人のことなんて気にしてないとわかってはいるけれどね 笑)そして家ではなるべく目に負担かけたくなくて、本もテレビもPC作業からも離れてずっとラジオとお友達。そこで毎日午後の決まった時間に今週のオススメ曲として流れていたのが英心&The Meditationalies の"Oi Bamba!"聴いた瞬間に心わしづかみにされました!メロディはオシャレなラテンのリズム。歌詞はザ・秋田弁!これが不思議とマッチしていて、なんとも言えないいい味を出しているんです!よく秋田弁の響きはフランス語にも似ていると言われるけれど、この曲ではスペイン語にも聴こえるかもしれません(スペイン語ってどんなだか、いまいち分からないけれど^^;)。秋田県人には聴き分けられるであろうネイティヴな秋田のことば。その微妙なニュアンスがバツグン👍すぎて体の傷みも忘れて思わず笑ってしまうという。そしてただ面白おかしいだけではなく少子高齢化への哀愁的な要素もあって、その微妙なあんばいもいい具合で。もっとずっと聴いていたいな、と思わずポチッとしてしまいました。

物事の見方ひとつで世界は変わる。

ご訪問ありがとうございます。自分を見つめる音声診断ねいろです。わたしが日頃から心がけているのは一つの物事や出来事に対してのフォーカスの仕方。事実はひとつ。それをどうとらえるか解釈はその人次第。それによって自分の心の在り方も違ってくるんじゃないかな〜と。今回のことで言えば帯状疱疹になってしまったことはショックだったけれど、これはもう変えられない事実。なので、事実は事実として受けとめてじゃあこれからどうする?今までのことをふまえて、これからどんなことに気を配ってどんな暮らしをしていけばいい?って生活全般を見つめ直す機会をもらったと思うことにしました。これからの心身の健康を維持するための知識と術(すべ)を病気が教えてくれようとしたんですよね、きっと。いま、このタイミングで。で、まずは食生活を改めることに。朝食も食べたり食べなかったり、自分自身に関してはテキトーでおろそかにしていた食の部分、栄養をしっかり摂ることを意識しています。(余談ですが、食べ物に感謝しながら美味しくいただくのは栄養がしっかり身につく食べ方。逆にただお腹が空いたからとか食事の時間がきたからとかで、ろくに噛まないでとりあえず空腹を満たすような食べ方は、栄養がいきわたらずに出ていく方が多いのだそうです。)そして夜型の生活も改めるように。"今日のうちに"寝ることを自分に課して、12時前にはおふとんに入るようにしました。テキトーな食事も夜ふかしももし帯状疱疹にならなかったら生活の誤りに気づくことはできなかったし、正しく改善するチャンスはなかったことと思います。ありがたやありがたや。自分に甘々だから、つい元に戻りそうになってしまったとしてもあの痛みをまた体験するくらいならちゃんとしよう!って思いますもんね^^;そしてこれがもっと先、さらに歳を重ねてからだったら、回復までの時間が長引いていたかもしれません。そう考えると今で良かったのかも。

久しぶりのコンビニで社会復帰できたと感じた出来事。

ご訪問ありがとうございます。自分を見つめる音声診断ねいろです。久しぶりのブログ更新です。いつも「声は嘘をつかない」と言っているわたしですがここ数週間「体、そして年齢は正直」ということを痛感しています。帯状疱疹になってしまいました。通院しながら自宅療養中、少しずつ社会復帰の途中です。発症から約2週間が過ぎ痛みや患部の状態など症状もだんだんと落ち着いてきて今はこうしてブログに向き合う余裕も出てきました。普通の生活ができるってありがたい ですね。発症当初はとにかく痛くて!!痛みには強いほうだと自分では思っていたけれど、今回のこの痛みはなかなかのパンチ力です。そして発症場所が頭部から額〜顔面だったため腫れがある目を開けてるのも辛く、少しでも目を休ませたくて読書もテレビもPCもじっとガマンの子の日々はキツイものがありました。強い痛みがある時はそれどころじゃなかったですけどね。薬を飲んで寝ているしかない状態で。でも、実は今回一番ショックだったのは帯状疱疹になってしまったことはもちろんだけど、それ以上に引き金となるストレスや過労など思い当たることがないのに発病してしまったこと。子育てや介護が重なって慌ただしく過ごしていた昔に比べると今は大きなストレスも疲労も感じることなくゆるゆると過ごしているので何故にいま?という精神的ダメージが大。お医者さま曰く、夏の疲れや季節の変わり目の天候などの影響もあるのかもしれませんね、と。そして、説明とともに渡された小冊子には加齢も一つの大きな要因だと…こればっかりは避けられないこと。今年の猛暑を乗りきれて自分では元気で大丈夫なつもりでいたけれど、要するに「お年頃」ってことなんですね。がっくし。とにかく原因探ししてても仕方がないし、なってしまったものはしょうがないので気持ちを切り替えてせっせと治療に取り組んでいます。

「好き」は最強!ワクワクには人を動かすパワーがある

ご訪問ありがとうございます。6秒で声分析、声から観る個性〜音声診断ねいろです。今年の秋田の暑さ(気温)は尋常じゃなかった!今日はついに37℃超え!そしてそれに負けないくらい高校野球も熱かった!!秋田県民にとっては金農一色の夏、暑さも忘れさせてくれるほどの楽しく濃厚な日々でした。わたしもいつになくアクティブに。ふだん人混みは避けているのに今回生まれて初めてパブリックビューイングに行って観戦したり、さらには長距離運転もあまり得意じゃないのに、選手たちのお出迎えをしたくて空港まで(わたしにとっては長距離運転^^;) 車を走らせたり。どこにそんなパワーがあったのか、自分でもビックリ!特に夏は冷房が苦手だったり、外との寒暖差や強い陽射しに負けてしまうので、家で大人しく過ごしているパターンが多かったのに。好きってスゴイ!最強!ワクワクは人を変える、苦手なことさえ吹き飛ばしてしまうんですね〜♪( 昔からその傾向はあったけど。ライブや舞台など好きなことや、興味のある勉強会などのためなら、冷房がキツイ新幹線に乗って東京までだって言っちゃうしこの冬だってヴォイスの養成講座を受けるために寒い朝、早起きして仙台通いしていたし^^)このワクワク状態がどれほどのものなのか試しに金農応援熱がピークになってた決勝戦前日、自分の声を録って音声診断してみました。結果はこちら。

金農(かなのう)の「全力の声」「声は嘘をつかない」

ご訪問ありがとうございます。6秒で声分析、声から観る個性〜音声診断ねいろです。毎年夏のお楽しみは花火、そして甲子園(高校野球)。地元秋田の金足農業の連日の好試合にワクワクが止まりません。昨日の対横浜戦、8回の逆転ホームランの瞬間は鳥肌もの。思わず拍手。そして感激の涙😭が。(NHK秋田放送の夜のニュース番組でもトップニュースに。パブリックビューイングで試合をレポしてたキャスターさんもウルウル。その涙を見てまたもらい泣きするという^^;)昨日の試合に限らず、毎年のことながら、甲子園を観てると泣けてくるのはなぜなんでしょうね〜。きっと全力でプレーしている高校球児の姿が胸を熱くさせるからなんだと思います。あいさつや試合中の声がけなどあらゆる場面での「全力の声」が金農の伝統なのだと知りました。ここ一番の時、声が勝負を分けるのだと監督さん。その結果があの全力校歌にもつながっていたんですね〜✨全く関係ないんだけれど、いつも音声診断のセッションでお客さまにお話ししている「声は嘘をつかない(つけない)」という言葉がふと頭をよぎりました。…いや、関係なくはないのかな(ややこしい)声には心と身体の状態やエネルギーがあらわれるのだから、日頃「全力の声」を意識している金農の選手たちの試合中に一瞬一瞬発している声には嘘がない。純粋な想いがギュッと詰まっている。声って素晴らしい!!すごいパワーを秘めているんだな〜✨ということに改めて気づかせてくれた金農の選手たちや監督さん。今日これからの試合も楽しみです。全力で応援します!

エンディングノートをオススメするもう一つの理由

ご訪問ありがとうございます。6秒で声分析、声から観る個性〜自分を見つめる音声診断ねいろです。エンディングノートについて前回長々と書いてしまった^^;のですが、その効用でもう一つ思い出したことがあります。前回の記事では始めてエンディングノートを書き終えた後、スッキリした気分になり、ここからまた新しく始まるような感覚になったと書きました。そして、「自分が本当に何を大切に思っているかがわかり、ここからどう生きたいかがはっきりみえてくる」とも。それは今までの自分の人生を振り返る項目を書く作業が大きく関係していて。ものごころがついた幼い頃から〜学生時代〜大人になってからのこと、とその時々のことを思い出しながらあんなこともあったこんなこともあったなあとペンを進めていくうちに胸の中にいろいろな想い出が行き来します。それは必ずしもいい想い出ばかりではないのだけれど、そんなこんなを経ての今なのだなあと。そう思うと自分のこれまでの人生が愛おしく思えるというか。あれもこれもあったからこその今、今ここでこうして書く時間を持てているんだなあ、なんてしみじみ思ったり。不思議なことに辛かったり悲しかったことさえも、あれがあって良かったとは言えないまでも、受け入れられるような気持ちにもなるんですよね。ここ数年のわたしが昔ほど自分に対して否定的ではなく、穏やかな気持ちでいられるのもここに理由があるのかも。(以前は自己否定のカタマリでしたから^^;)そして、書き進めているうちに胸にわき上がる想い。それは両親はじめ今まで自分に関わってくれた人たちへの感謝の想いです。それこそ全部が全部いい想い出ばかりではなく、中には心がチクッと痛むエピソードもあるけれど、それ以上にその人がわたしのためにしてくれたことや何気ないひと言が嬉しかったなあとか、一緒に過ごした時間が楽しかったなあとかありがとうが積み重なる感じ。文字にあらわす作業をしていると、すっかり忘れていたことや、さりげないことがフッと思い出されるのも不思議です。よく「事実は一つ、それをどう捉えるかで変わる」ということが言われますよね。その渦中にいる時は悲しかったり辛く感じたことでも、違った角度から捉えてみると、また違う感情がわいてくるかもしれません。そこに感謝の想いが加わったとしたら…今となってはいい想い出に昇華されてしまうということが起きるかも。いつまでもネガティヴなこととして自分の中に留めておくのもイヤだしね。笑顔で生きるか下を向いて生きるかは自分次第なんですよね。(とはいっても、どうしてもあれだけは!っていうこともありますけれどね^^;)そんなこんなを含めての「人生の棚卸し」です。いざという時どうしてほしいか等を書き記しておくことは残された家族への愛と書きました。つまり大切な人へのラブレターです。そして、自分に対してもよくぞここまで生きてきた、と自分で自分をほめたくなります^^自分へのエールにもなるかも!そしてまた来年のこの時期まで自分として生きよう!という気持ちになったわたしなのでした。

エンディングノートの思いがけない効用

ご訪問ありがとうございます。6秒で声分析、声からみる個性〜自分を見つめる音声診断ねいろです。お盆ですね。毎年この時期を迎えると、これまでの人生の中でお別れした人たち〜両親や大切な人へ想いを馳せる時間が多くなります。そして、この期間はわたしにとっては自身のエンディングノートの見直しの時にもしています。実はわたし、4年前に終活カウンセラーの資格を取得し、その一環でエンディングノートの書き方講師にもなっているんです。資格取得の講習会では各方面についての実務的なことも習ったけれど、わたしが一番心に響いたのは『 終活は残された人への愛である』という講師の先生の一言でした。そもそも、なぜわたしが終活やエンデイングノートについて興味を持つに至ったかというと…それこそ「子どもへの想い」から。病気で倒れた実家の父の世話をしていた12年間の間に、『もしもの場合どうして欲しいと思っているのか』を父がまだじゅうぶん元気なうち、意思疎通ができるうちに聞いておけば良かったと、わたし自身が何度も痛感したことがあったからです。それはたとえば命をつなぐための延命処置や胃ろうなどの手術が必要となった場合。3歳下の妹がいるとはいえ、母をとうの昔に見送り、長女で同じ市内に住んでいるわたしが保護者であり、父に関する全てのことを背負っている状況で、それはそれは重責でした。父の命をわたしたち子どもが決めていいものだろうか。どんな状態であっても少しでも長く生きていて欲しいと思うのは、子ども側のエゴだろうか。父の本当の想いはどこにあるんだろう。本当に悩みました。結局は妹と想いが一致していたので、ギリギリこれ以上は…というところまで治療をお願いしたのですが。父自身がそこまで望んでいたのかはわからずじまいでした。病状とともに認知症が進んでいって口もきけない、わたしのことが誰だかわからない、ほとんど寝ているだけの状態になった父。本当は何を望んでいるんだろうと、聞いてみたかった。そして、わたしの中に「わたしと同じ思いを自分の娘にはさせたくない。させられない」という想いが芽生えるようになったのでした。もし自分の身に置き換えたら。『万が一にも同じような状況になった場合、わたしはこうしてほしいと思っている。』と紙面に書き記しておくことで、少しでも子どもへの精神的負担を減らせたら。「これがお母さんの望みなのだから、あなたは悩んだり罪悪感を感じなくていいんだよ」と。それを伝える一つの手段がエンディングノートでした。そして、悩みや迷いは父を見送ってからも続き…見送った直後からの一連の事を終えた後も、空き家になった実家の問題や遠くの地にあったお墓を市内に引っ越しさせることなどなど、問題は山積。今でこそ終活ということばが広く知られるようになり、テレビや雑誌にも特集されたりしているけれど、当時は誰に聞けばいいのかもわからず、あちこちの場所に出向き専門家に聞いてまわり(空振りすることも多々)…結局全部解決するまでに何年もかかりました。その間動き回ったこと全部が経験値となり、それを活かさないのはもったいないと妹に勧められて、終活カウンセラーの資格を取ったのでしたが、わたしの想いはただ一つ。終活カウンセラーの資格を取ることで得られるエンディングノートの書き方の勉強会の機会。(今は行政や民間でもさまざまな催しがありますが、当時はまだ一般的でなかったと記憶しています。)多方面から書き記しておいて、いざという時に娘が困らないようにしてあげたいということでした。そうして初めてのエンディングノートをひと通り書き終えた時、妙にスッキリした気持ちになったのを覚えています。そして、同時に感じたのは「ここからまた新たに始まる 」というような不思議な感覚。ページを埋めるために今までの人生を振りかえる時間を持ったことで、そうしてそれらを文字にして書き表わしたことで、自分の気持ちの整理ができたのです。これは思わぬ効用でした。エンデイングノートを書くことを通し、自分のこれまでの生き方を振り返ることで「これからどう生きるか、どう生きたいか、自分が本当に大切にしているのは何か」を見つめるきっかけにもなったからです。終活って聞くと、まだ早い、若いから関係ないとか縁起でもないって思いがちですが、どんなかたちであってもエンディングノート(という改まったものじゃなくても)に書き記しておくことはオススメです。結局はこれも「自分の想いを伝える」ってことですものね。ちなみにわたしは鉛筆書きで書いています。それは年月とともに変化する部分もあるから。年に一度この時期に見直すことで、自分の新たな気持ちに気づくこともあるからです。